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神の言葉を美しく描く「アラビア書道

世界アラビア書道日本代表者 東京ジャーミィのアラビア書道の教師 ターリク・ファタヤーニ イスラームアラビア書道、それは手で奏で、目で聴いて、心で楽しむ曲 [email protected] イスラームアラビア書道、それは手で奏で、目で聴いて、心で楽しむ曲 アラビア書道の最も大きな特徴は言葉とデザインの融合です。ただ単にアラビア語の文字をきれいに書くのではなく、文字と文字を繋げたり言葉と言葉を繋げたりすることで絵のように美しく表現します。アラビア書道は、神の言葉であるクルアーン(コーラン)を美しく描くために発達したアートなのです。それは、アッラーの言葉への理解でもあります。文字の繋ぎ方に関するルールはあるものの、デザインは人によって異なります。そのため、同じ文章でも、書く人によって全く違うものができます。 アラビア書道は、いろいろな事物から着想を得て、美的かつ芸術的な表現がなされるために、見る人にその奥にある意味を感じさせるような意匠が凝らされています。例えば、円形、六角形などの幾何学的な図形のほか、リンゴや梨などその言葉の意味だけでなく、自然の賜物である果物の形(デザイン)、色を加えてでその意味をあらわすこともあります。(一般的なものが先の方が理解しやすい、もう少し、意味を感じさせる例が欲しい・・・)。 アートとしてどのくらい優れているかをお伝えするために、アラビア書道に魅了された20世紀最大の芸術家パブロ・ピカソの言葉を紹介します。 もし“アラビア書道”のようなすごいものの存在を私が知っていたら、絵を描き始めることはなかっただろう。わたしは最上級の芸術的な熟達を目指して努力してきた。しかし“アラビア書道”は、わたしが存在するよりもずっと昔から、すでに極みに達していたのだ。 アラビア書道は、なぜ単なる文字ではなくアートとしての要素を持つまでに発達したのでしょうか。 イスラームという宗教が生まれるイスラーム以前には、偶像がたくさんが作られていました。それらの偶像作品は売買され崇拝の対象として重宝されました。例えば、ナツメヤシの実で作られた偶像を食用に供したというエピソードもあったそうです。 しかしイスラーム以降、では偶像崇拝が禁じられ、偶像崇拝につながりうる装飾芸術が忌避されるようになりました。アートという存在も許されなくなりました。偶像自体は勿論のこと、壁に偶像らしきものや生き物を描くことも禁じられたわけです。禁止されてしまったのです。そうした装飾アートの代わりに発達したのがアラビア語書道でした。 もう一つの理由として、イスラーム文明にとって重要なクルアーンコーランを伝承していくための手段としてアラビア書道が使われたということが挙げられます。のです。 イスラーム史教の初期においてでは、文字はは、クルアーンコーランを書くためだけに必要なものでした。しかし、イスラームの教えでは学問の探究に欠かせない読み書き知識だけでなくアラビア書道を学ぶこともを薦めたので、書くことすなわち、アラビア書道がは次第にイスラーム文明を築き上げる上で重要な事柄ことがらの一つになっていきました。 イスラームの教え教は、科学や化学、数学、地理学など様々な分野での学問の発達を促したため、イスラーム文明を豊かにしました。その文明の発展を通じて、アラビア書道も発展していきました。 そしてその中で、装飾用として、また神として崇められたであった偶像の代わりとしてもアラビア書道はが位置付けられるようになったてたのです。その図案の中に示されたアッラー(唯一の神)の教えや言葉に含まれるその深い意味は、鑑賞する人に深い感銘を与えまするのです。アラビアヤ書道は芸術的に極めて優れたものとしての評価を受け、ひいてはアラベスクの発展に大いなる影響を与えました。 アラビア書道の発展に伴い、アラブの国ばかりではなく、ペルシア、トルコ、スペイン、アフリカや中央アジアの国々の異なる文化背景をもった人が書道家になりました。その結果、独自の特徴をもった多様な書体が生まれました。現在ではアラブ、ムスリムの枠にとらわれず、世界中のあらゆる人々に親しまれています。日本にも多数の書道家が存在します。いまやアラビア書道は世界的アートと言えるほどのものなのです。 字体の種類は、数えきれないほどたくさんありますが、現在の代表的なものとしては、クーウフィー、スルス、ナスフ、ディーワーニー、ルクア、フャーリスィシーの6種類があげられます。 1.クーウフィー体は装飾のためによく使われます。モスクの壁や天井などを覆ったこの書体は、スペイン(アンダルシア)に多く見られます。クーウフィーはフリーハンドではなく、定規などの道具を使って描きます。この書体は建物の装飾用のデザインに取り入れられ、美的な特徴を保ちながら幾何学的な書体として発達してきました。ちなみに、一口ひとくちにクーウフィーと言っても、非常に多くの種類があり、アラビア書道の中でも異彩を放っています。 2.スルス体は一番美しい書体だと言われています。そのために、装飾用に最もよく使われます。しかし、読み書きには難しい書体であると言えるでしょう。柔軟性を持つ書体でもあり、幾何学的な形だけではなく、果物の形や、樹木の形といったものでも作ることができます。芸術性に長けた表現をこの書体で表現することができるのです。 3.ナスフ体は読みやすいため、最も一般的な書体であり、新聞や本などでよく使われています。外国人がアラビア語を学ぶときには、この書体で学びます。 4.ディーワーニー体は一般的な装飾用の書体としてよく使われ、書道家にとても好かれるています 。なぜなら、この書体には直線は使用されず、はねなどの自由な文字の動きを中心にしているからです。これを使うことにより、自分の気持ちを文字に託すことができまするのです。。例えば招待状や、ラブレターにさえも使われます。 5.ルクア体は一番簡単なのでアラビアブ書道を習う人は、まず初めに習います。また、普通の手書き文に関しても、この書体が基本です。 が、 6.ファーリスィシー体は昔ペルシアャで発達した書体です。シンプルですが、独特の美しさがあります。今でもイランやパキスタン、インドで多く使われています。ナスタリク体、シャクサテ体といった種類もありますが、我々アラブ人は、これらはファーリスィシー体の派生系だと考えています。 アラビア書道は事物から着想を得て、アートとして、美的かつ芸術的な表現をするために、デザインと言葉を融合させてきました。特に、和やかでバランスのよい図案を完成させるとともに、見る人にその奥にある意味を感じさせるような意匠が凝らされています。(形の例としては、リンゴ 梨などの果物のほか、円形、六角形などの幾何学的な図形があります)。 その深い意味とは、その図案の中に示されたアッラーの教えや言葉に含まれるもので、鑑賞する人は深い感銘を与えられるのです。カリグラフィーは芸術的に極めて優れたものとしての評価を受け、ひいてはアラベスクの発展に大いなる影響を与えました。 アラビア書道は、すなわちイスラーム芸術の重要な一部と考えられます。イスラーム芸術は、単に綺麗であることや、端正であることを目的としてはいません。対象の中にある善き心、あるいは善き意思を表現することを、究極の目的としています。そして、それらを通じて人間をより高い精神性へと導くものであり、それがまたアッラーのお望みに適う沿うものとされますなのです。確かに、アッラーの言葉はアラビア書道で書いたらきれいですし、読んだら歌のようにきれいです。言葉の意味を理解したらもっともっときれいです。やっぱり神様の言葉ですね。 アラビア語書道は、すなわちイスラム芸術の重要な一部と考えられます。イスラム芸術は、単に綺麗であることや、端正であることを目的としてはいません。対象の中にある善き心、あるいは善き意思を表現することを、究極の目的としています。そして、それらを通じて人間をより高い精神性へと導くものであり、それがまたアッラーのお望みに沿うものなのです。確かに、アッラーの言葉はアラビア語書道で書いたらきれいですし、読んだら歌のようにきれいです。言葉の意味を理解したらもっともっときれいです。やっぱり神様の言葉ですね。...

愛される名前

  「ムハンマド」 イスラームを語る上で、この名前は欠かせない存在の一つだ。 言わずと知れたイスラームという宗教の創始者の名前であり、世界に1億5,000万人以上存在していると言われるほど人気の名前でもある。 何故この「ムハンマド」という名前はこんなにも広く愛されているのか? 彼は一体どういった人物だったのか? 今回のコラムではムハンマドという名前の魅力を、書道作品とともに紹介していく。 激増したムハンマドの歴史: ムハンマドという名前は、アラビア語で「讃えられる者」「称賛に値する人」と訳される。 今でこそ多くの人口を誇る名前だが、実はイスラーム以前のジャーヒリーヤの時代(5世紀半ばごろ)にはそこまで人気があるわけでは無かった。 これが爆発的に増えたのがジャーヒリーヤ終期、とある宗教の専門家が聖書を研究している際に「近くムハンマドという名の預言者が誕生する」という内容を見つけて発表したことにより、我が子に預言者としての可能性を求め、多くの親がこの名前を選んだことによると言われている。   そんな中、現サウジアラビアのマッカという都市に暮らすアブドゥッラーとアーミナという夫婦の間に、新たな命が宿っていた。幸せな未来を歩むはずだった二人だが、子供の誕生を待たずしてアーミナの元にアブドゥッラーの訃報が届く。 絶望の最中、それでも子供を守ろうと強く決意していたアーミナは、アブドゥッラーの父を頼る。アブドゥッラーの父、アブドゥルムッタリブは当時のマッカを治めるクライシュ族という名門一族の一員で、広い心でアーミナと子供を受け入れた。 じきに生まれるだろうという時、アブドゥルムッタリブの夢の中に天使が現れ、こう告げたという。 「もうすぐ人々から広く讃えられる子供が生まれる」 目を覚ました彼は、これは神からのお告げに違いないと確信し、子供に「讃えられる者」という意味を持つ名前を付けることを決めた。   そして西暦570年ごろ、聖書の記載の通り、のちにイスラームという宗教を啓き、神の言葉を広く伝える預言者となる子供「ムハンマド」が誕生したのである。 愛される「ムハンマド」: 誕生から今日まで預言者ムハンマドは、その名を用いた書道の作品集が出版されている程に広く人々から愛されている。 ここで人々の彼への愛情の深さを表す逸話をいくつか紹介しよう。 EP1:預言者ムハンマドの従兄弟、アリー ある日、預言者ムハンマドの従兄弟であるアリーが人々にこう尋ねた。 「あなた方はどれほどムハンマド様を愛していますか?」 すると皆が、「自分の子や父母、家族よりも愛しています。」と答える中、 「私は彼のことを、とても喉が渇いている時に飲む水よりも愛しています。」 とアリーはその愛情を堂々と語った。         預言者ムハンマドと従兄弟アリーの名を描いたクーフィー体によるアラビア書道作品。 黒い文字の部分が「ムハンマド」 赤:م 青:ح 橙:م 緑:د     白い文字の部分が「アリー」と書かれている。 緑:ع 青:ل 赤:ي これを角度を変えて4つ配置した構成になっている非常に技巧的な作品。 EP2:落ち込んだサウバーン またある日、預言者ムハンマドが町を歩いていると、サウバーンという男に出会った。 しかし彼はどうにも落ち込んだ様子で、見かねた預言者ムハンマドは「一体何がそんなにあなたを苦しめているのですか?」と尋ねた。 サウバーンは「私はあなたに少しの間でも会うことができないと、もう二度とあなたには会えないのかもしれないと感じます。今日も”最後の審判”の後、どうやってあなたとの別れに耐えようかと考えていたのです。たとえ天国に行けたとしても、あなたほどの地位には届きませんから。」 サウバーンは目に涙を浮かべ、さらに続けた。 「ムハンマド様、私がもし天国に行けなければ、この運命は明らかです。いずれにせよ、あなたの近くには行けないでしょう。それが悲しくて仕方がないのです。」 そう言い終わると、サウバーンは口をつぐみ、ただ涙を流した。   これを聞いた預言者ムハンマドは、サウバーンの肩に手を乗せ、こう言った。 「神は全てを見ています。私が愛している、正しい行いをし誠実に生きる人々とは、あの世でも仲間になることができます。」 すると、それまで落ち込んでいたサウバーンは元気を取り戻し、再び神に感謝を捧るのであった。   EP3:捕らえられたザイド・ブン・アッ=ダスィナ 激しい戦争が続いていたある地域で、ザイド・ブン・アッ=ダスィナという男が敵に捕らえられ捕虜となってしまった。 処刑が確定した日、敵の一人が彼に向かって、 「お前をこれから処刑する。しかし、ムハンマドを身代わりにすればお前の命を助けてやると言ったらどうする?」と尋ねた。 ザイドはさも当然と言わんばかりに「私はムハンマド様を誰よりも愛しているんだ。それこそムハンマド様に小さなトゲが刺さるより、自分が死ぬ方がましだと思うくらいにな。」と答えたのだった。   EP4:サアド・ブン・ムアーズ とりわけ愛情の深かった男、サアド・ブン・ムアーズはこう語ったという。 「アッラーの使徒よ、我々の持つ財産は全てあなたの目の前にあります。どうぞ自由に使ってください。取るも残すも、あなたの好きにしてください。」 「我々は、あなたがどこに行こうとお供します。それがたとえ広い海の真ん中だったとしても。」 「ムハンマド」の文字と愛の象徴であるハートマークを組み合わせたディーワーニ体による作品。 愛される確かな理由 預言者ムハンマドは、前述の通り人々から深く愛されていた。 この理由として考えられるものを、いくつかのポイントを挙げて話していく。   歴史的な背景 預言者ムハンマドが愛された大きな理由を知るには、イスラーム以前のジャーヒリーヤ(無明時代)がどのような時代だったのかを知ることが手掛かりとなる。   この時代のアラビア半島では、遊牧民的生活様式が至上であると考えられていた。国家などの支配には服さず、自立的な血縁集団の枠組みの中で生きるのを理想とするものである。 また宗教的には、巨木や岩に神性を認めるアニミズム系の多神教の世界でもあった。 一見自由で、理想的なものに見えるかもしれないが実態はそうではなく、近隣の部族の間に平和を守るルールが存在しないため部族間の争いが絶えず、「多神を信じ、唯一神アッラーを信じていなかったため、ひとり残らず地獄に落ちている暗黒の時代」とも称されるほど混沌とした時代であったとされている。   その中で預言者ムハンマドがアッラーからの啓示を受け、神の存在を広く知らしめその光明をもたらしたことで、蛮行に怯える多くの人々が救われたのだ。   心遣いの大切さと人格の追求  ムスリムには5つの信仰義務が課せられている。 これは五行といわれるもので「信仰告白」「礼拝」「ザカート(定めの施し)」「ラマダーン月の断食」「巡礼」を指す。その他、日常生活/社会生活でも様々な取り決めがある。   しかしルールが与えられている中では、形だけになってしまうものが一定数現れてしまうものだ。その中で預言者ムハンマドは一人一人の真剣な心遣いを強調し、形だけでは役に立たず大切なのは心であり、重要なのはその行為の動機・意図・目的の純粋性と説いたのである。 また、彼は必ず言行一致であった。神の言葉を預かる「預言者」という立場に背かぬよう自分の行為については注意深く、単に教えを垂れるだけでなく実行に移していた。これにより預言者ムハンマドは、ムスリムが行動の改善あるいは義務の遂行に当たろうとする際の規範となったのである。   日常の中でも正しく生き続けた預言者を、人々は人格と徳性のモデルとした。クルアーンには彼を「本当にアッラーの使徒(ムハンマド)は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。」(33-21)と表現しており、クルアーンに示されるところが曖昧な場合、人々は預言者の行動の中に正解を求めた。   預言者ムハンマドは、啓示を受けてから亡くなるまでの23年間を全身全霊をあげて人々の救済に捧げ、苦労の成果を全て人類に与え、自分自身は何物も望まない心境に達した。 彼の人格は人間として到達可能な最高の人格の模範となり、今でも多くの人々に愛され、尊敬されている。   世界への影響 アメリカの歴史学者マイケル・ハートが1978年に出版した「The100:歴史上最も影響力のある人物ランキング」では、イエス・キリストやニュートンをおさえ1位に記録されている。 この本は主に社会的な影響力や歴史の流れから世界に貢献した人物を扱っており、このことからも預言者ムハンマドが世界に大きな影響を与えた人物であったと言える。 では具体的に、彼が平等・公正さを理想として実現していった社会的な改革を挙げてみよう。   ・同害報復法の改革 同害報復を手段として秩序を維持しようとする中で、一人の命の代価はその社会的身分の上下に関わらず、等しいものとした。 さらに「こころよく相手を赦し、和解する」(クルアーン第42章38~40節)寛大さを勧めた。  ・高利貸しの禁止と新市場の開設  イスラームの教えに従い、貧富の格差を是正するために高利貸しを違法とした。 さらに当時カイヌカーウという一族が利権を支配していた市場に代わるものとして、取引に全く税をかけず、金品の貸借に利子をつけない独自の市場を開設した。  ・ザカート(喜捨)の制度化  先の五行で記した「ザカート」の本来の意味は「浄化」である。 ムハンマドはこれを制度化することによって、形式的な慈善で終るものではなく、自己の魂の浄化にかかわる日常の行であることを示した。 ・女性の権利 従来女性には与えられていなかった権利を具体的に保障することで、全ての人間に平等性、独立性を与えた。その権利には自分の財産の所有権、夫からの遺産相続権、妻の方から夫に離婚を申し出る権利、妻の結納金に対する権利などが含まれている。 ・奴隷の地位の改革 冷遇されていた立場の奴隷を「アーダムを同じ父祖とする兄弟」と位置づけ、人間らしく待遇するよう奨励した。イスラームにおける奴隷は、階級と地位をもつ世界の歴史の中でも無類の存在であったとされる。   人々の中に生き続ける「ムハンマド」 宗教的にも社会的にも世界に大きな影響を与えたムハンマド。 誕生から1400年以上の時が経っても、今なおこの名前が愛されるには必然的な理由があった。 ムスリムだけでなく、世界中の人間が自分の子に彼のように正しく、利己的でなく人のために行動することが出来るようにという願いを込めてこの名前を選んでいるのだろう。   最後に、愛される名前「ムハンマド」を用いた書道作品をいくつか紹介しつつ、このコラムを締めくくりたい。 1-   スルス体による作品。 全体的に丸いフォルムで、様々な作品に用いられている。 長年研究されている書体である。 下の画像は、作品のバランスを計るためのガイドを表示したもの   2-   スルス体による作品だが、上記とは違う組み合わせで作成されている。 アラビア文字は本来文字と文字をつなぐ際に形が変化するが、この作品はそれぞれ独立した文字を用いて書かれている。       3-   ディーワーニージャリ体による作品。 حを大きく書き、他の文字を中に入れている。       4-   ナスフタリク体による作品。 イランで作られた書体で、ペルシア語でよく用いられるコンパクトな書体。         5-   「ムハンマド」をディーワーニー体、「アッラーの使徒」をナスフタリク体で書いている作品。 二つの書体を組み合わせている非常に高度な技術を用いて「ムハンマド様はアッラーの使徒である」と書かれている。       6- スルス体による作品。 上に「アッラーの祝福と平安がありますように」、下に「ムハンマド」をあしらった作品。 上の文はムスリムが預言者ムハンマドを呼ぶときに使う言葉で、非常に大切な言葉である。       7-     ナスフタリク体による作品。 これもحの中に他の文字を入れる手法が用いられている。       8-   ディーワーニー体 最後の文字を丸くしている。 これもアラビア書道でよく使われる手法である。       9-   ナスフ体による作品。 新聞などに用いられている書体で、シンプルかつ読みやすいのが特徴...

美しきアラビア書道の世界

「فَاللَّهُ خَيْرٌ حَافِظًا ۖ وَهُوَ أَرْحَمُ الرَّاحِمِينَ (64)」 12-64.アッラーは最も能く(かれを)守られる。かれこそは、慈悲深い御方の中でも最大の慈悲深い御方であられる。 日本には文字を芸術に昇華させる「書道」がある。 人の思いを文字に乗せ、紙の上に綴る芸術だが、同じように文字を使い心を表現する文化がアラビアにも存在している。 しかし、アラビア書道は日本書道のそれとは大きく異なり、単純に文字のみを書くのではなく、絵画や彫刻といった様々な芸術との類似点が多く見られると筆者は考える。 今回はアラビア書道がどのように書かれているのかを紐解き、その美しさについて述べていく。 ・「絵」としてのアラビア書道 上記の通り、アラビア書道の芸術性については、絵画などの表現方法に近いものがある。 もちろん文章としての形を崩すことなく描かれているのだが、いったいどういうことだろうか? まずは以下の作品をご覧いただきたい。 وَلَا تَهِنُوا وَلَا تَحْزَنُوا وَأَنتُمُ الْأَعْلَوْنَ إِن كُنتُم مُّؤْمِنِينَ (139) 3-139.それで気力を失ったり、また絶望してはならない。あなたがたが信者ならば、必ず勝利を得るのである。 見、線が組み合わさった模様のように見えるが、これはれっきとした文章である。 アラビア文字は、その特性上文字と文字を繋げ構成されるた それを利用し絵   や模様のような作品を作ることができるのだ。  また、俯瞰して作品を見ると格子状に組み合わさった直線や 下部の曲線のそれ  ぞれの距離が均一であり、曲線と直線の比率が非常に精巧に組まれていることも      分かる。これはアラビア書道において非常に重要なポイントである。 ・「伝えるため」のアラビア書道  書道として文字を美しく描くのはもちろんのこと、アラビア書道においては文字  の色・形・位置さえも利用し、鑑賞者にメッセージを伝える技法がある。  つまり極論アラビア語が読めなくても意味が伝わるように作られているのだ。  次の作品は3色のインクを用いて描かれたものである。   بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَٰنِ الرَّحِيمِ : قُلْ هُوَ...

アラビア書道における「ビスミッラー」とは

世界アラビア書道日本代表者 東京ジャーミィのアラビア書道教師 ターリク・ファタヤーニ [email protected] アラビア書道の美しさ アラビア語の文字は、その美しさゆえにアルハンブラ宮殿や様々なマスジド(モスク、礼拝所)の壁面を飾っただけではなく、教会においてさえ装飾として用いられている。他の言語でも文字を美しく綴る芸術というものは存在するが、アラビア書道はアラビア文字を文字の芸術以上のものにし、絵画や彫刻に匹敵するデザインに変容させた。 かの高名な画家であるパブロ・ピカソは、アラビア書道についてこう語ったという。 『もし”アラビア書道”のような凄いものの存在を私が知っていたら、絵を描き始めることはなかっただろう。私は最上級の芸術的な熟達を目指して努力してきた。しかし、”アラビア書道”は私が存在するよりもずっと昔から、すでに極みに達していたのだ。』 ピカソがこのような言葉を残したのも不思議ではない。彼はイスラーム・ルネサンス時代の偉大なイスラーム文化遺産が残された地、スペインのアンダルシア州で生まれ育ったからである。 イスラームとアラビア書道の関係 イスラーム以前の時代には、アラビア書道は存在しなかった。アラビア語の文字自体が非常に原始的な形態をとっていた上、当時のアラブ人の大多数には文字を書く技術がなかったからである。しかしイスラーム時代になり、イスラーム教は人々に知識の追求や学びを促した。イスラームの聖典「クルアーン」では、人間の生活における学問の重要性が様々な箇所で明言されている。 『知っている者と、知らない者が同じであろうか。(しかし)訓戒を受け入れるのは、思慮ある者だけである。』  また、預言者ムハンマドも学ぶことを奨励した。 アル=ブハーリーとムスリムが教友(預言者ムハンマドの直弟子)アブー・フライラによる伝承として伝えるところによると、預言者ムハンマドはこう言ったという。 「知識を求めて道を歩む者には、アッラーが天国への道をそれを通して容易くしてくださるだろう。」 そのため人々は学び始め、中世においてはアル=フワーリズミー、イブン・スィーナーなど、医学、天文学、数学といった様々な分野の学者が輩出された。彼らが残した知識は、現代社会においても大きな影響をもたらしている。例えば、「アルゴリズム」という言葉があるが、これは開発者であるアル=フワーリズミーの名前に由来する。当時のヨーロッパは暗黒時代と呼ばれ、人々は無知蒙昧を憂いていた。故に学問を得るためイスラーム帝国に渡ったのである。 『1001の発明』という本を紐解くと、その中には当時のイスラーム教徒の発明の様々な事例が示されている。そしてそこに示されるイスラーム文明の一つに美術があるが、これはイスラーム建築、装飾の技術、アラビア書道の発展に大きく寄与するものであった。 「ビスミッラー」とは? このコラムでは、長い時間の中で発展を続けてきた「ビスミッラー・アッ=ラフマーン・アッ=ラヒーム」という一文を通して、アラビア書道の魅力について紹介したい。 「慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において」といった日本語訳となるこれは、クルアーンの最初の節であり、「悔悟」の章以外の各章はこの一文で始まる。イスラーム教徒(以降、ムスリム)は食事前に「ビスミッラー・アッ=ラフマーン・アッ=ラヒーム」を略して「ビスミッラー」と唱える。全てのムスリムの著作家は、書物の冒頭に「ビスミッラー・アッ=ラフマーン・アッ=ラヒーム」の一文を添えるし、イスラーム教徒はあらゆる行為を始める前にこの一文を唱える。 このように、「ビスミッラー・アッ=ラフマーン・アッ=ラヒーム」はイスラーム教徒にとって非常に重要な意味を持つ一文であるため、多くの書道家がこれをモチーフにしてきた。私も子供の頃「ビスミッラー・アッ=ラフマーン・アッ=ラヒーム」をモチーフに絵画を描いたことがある。(写真:左) ビスミッラーの意味 ビスミッラーとは「アッラーの名をもって動作を始める」ということである。例えば食前に唱えるビスミッラーは「アッラーから祝福および健康をいただく」「アッラーがこの食事を与えて下さったことに感謝を捧げる」などの意味を持つ。 もちろん、仕事もビスミッラーで始める。アッラーの助けを求め、アッラーに成功を祈るためである。 「アッ=ラフマーン」と「アッ=ラヒーム」については、アッラーの属性である。双方とも「慈悲」という意味を持つ。 「アッ=ラフマーン」は、「慈悲あまねく御方」という意味を持つ。アッラーのお慈悲は広大無辺で、例え人間が大きな罪を犯しても慈悲を持って接し、人間は恩知らずであるにもかかわらず糧を与えてくださる。人間は些細な過ちは赦すかもしれないが、大きな過ちは赦すことができない。しかしアッラーは、アッラー以外の神の存在を信じない限りにおいて、慈悲あまねく全ての罪を赦してくださるのである。 「アッ=ラヒーム」は「慈愛深き御方」という意味を持つ。人間は些細な過ちは赦すかもしれないが、同じ過ちを何度も繰り返すことは赦さない。しかし、アッラーはどんな過ちを何度犯しても、悔悟すれば赦してくださる。従ってアッラーは、「アッ=ラフマーン アッ=ラヒーム」なのである。 アッラーには、「強い者」や「比類なき威力を持つ者」等の様々な属性があるが、何故ビスミッラーでは「慈悲あまねく、慈愛深き者」が用いられているのか。 私たちはアッラーに対する義務を果たさず、過ちも多く、アッラーに助けを求める権利を持ってはいないが、ビスミッラーを唱えることにより、アッラーに助けを求めている。 アッラーは「アッ=ラフマーン アッ=ラヒーム」であって、私たちがどんなに重大な過ちを犯したとしても助けてくださると信じているから、「ビスミッラー・アッ=ラフマーン・アッ=ラヒーム」と唱えるのである。   この一文を様々な形で描いた数百点の作品を集めた絵画集がある。以下では、「ビスミッラー・アッ=ラフマーン・アッ=ラヒーム」を様々な書体で描いたものをご紹介しよう。 1.     クーフィー体 クーフィー体は、アラビア文字最古の書体である。元来は葦で書かれていたが、石に刻みマスジドの壁を装飾するために、筆で描けるように改変された。   2. ナスフ体 この書体はシンプルで読みやすく、最も普及している書体である。そのため書物、新聞、雑誌などに利用されることが多い。     3.  スルス・リーハーニ体 稀な書体の一つであるが、美しさと豪華さが特徴である。   4. ルクア体 最も書きやすい書体であるため、手書きはこの書体で行われる。   5. 正方形クーフィー体 正確な計算を行い、すべての隙間を「ビスミッラー・アッ=ラフマーン・アッ=ラヒーム」で埋めるべく幾何学的に描かれる。   6.ディーワーニー体 スマートかつ流動性を有し、川の水が流れるようにすべての文字が繋っていることが特徴である。   7. ファーリスィー体 イランで発祥し、イランにおいて大きく発展した書体である。簡単で美しく、イランやパキスタンをはじめとする周辺国でよく利用される書体である。   8.ディーワーニージャリ体   流動性および美しさという面ではディーワーニー体に似ているが、全体的な空間が点で飾られ、流麗な美術を形成する。 以下の作品は、「ビスミッラー・アッ=ラフマーン・アッ=ラヒーム」が様々な形や書体で書かれているものである。     アラビア書道を書く際には、ただ文字を美しく書くのではなく、文字の配列についても幾何学的な配慮をしなければならない。美しいアラビア書道の絵画に辿り着くためには、実験を積み重ね、正確な計算を行うことが必要である。 上にあげた例のように、書としてのビスミッラーは以下のような考察や計算を行った結果、最終形態に至るのである。上の画像を見ると直線が平行で、文字と文字の間の距離や文字の配列が正確に計算されているのがわかるだろう。芸術を成し遂げるには、精密な作業が必要なのである。...

私とアラビア書道

私には子供のときからアラビア書道への興味がありました。 私の家族はイスラームに強い関心を持ち、父親はイスラーム科教師で、いろいろな学校で教えてきました。日本では確か、宗教のことを学校で教える科目はないと聞きましたが、シリアでは、自分で選んでイスラームかキリスト教を学べます。そのうちに私はクルアーン(コーラン)が好きになりました。小学校は普通科でしたが、中学校はコスルフェイアというイスラーム学専門の中学校に行っていました。公立 学校と同じ科目の勉強に加え、クルアーンの解釈や預言者様の話など、イスラームのことをさらに詳しく学べます。その学校にはとても良い思い出があります。今まで受けた教育の中で一番良かったと思うほどです。この学校で美術の授業があり、アラビア書道を学びました。ムハンマド・アミーン・アブドッラティーフ先生が教えてくれました。先生の専門は法律でしたが、クルアーンを全部暗記していて、書道が好きで学校で教えてくれていました。実はほとんどのアラビア書道の先生は職業的な書道家ではなく、何かの仕事をやりながら書道をやっている人ばかりです。、書道はお金にならないからですが、皆好きでやっています。先生のおかげで、クルアーンがさらに好きになりました。アラビア書道は、神様の言葉を書く芸術だと学んできました。次の作品は中学生の時に書きました。書いてある文字は「قلبي ينادي يا رب」日本語では「私の心は神様を呼んでいる」という意味です。この作品は歌を聞いてすっと心に入ってきて、すぐに歌詞を書きました。普通は作品が完成するまでに何回も文字を組み合わせてみるのですが、この作品は一回でできました。   中学校が終わってからは、書道家である兄も教えてくれました。そして私は姉と沢山の作品を作りました。私が書き、彼女は飾ったり、ガラスに写したりして作品を完成させてくれ、楽しい時間を過ごしました。家にも飾っていました。やはりゆっくり書を書くと、書いている言葉の意味を深く考えることにもなり、心も綺麗になる感覚を味わえます。 その後大学へ入学してから、日本のことが好きになって、日本語を勉強し始めました。その時シリアに留学していた日本人と友達になって、プレゼントとして名前を書いてあげました。また、交流会として日本に招待された時にシリアと日本の関係がよくなるようにと、次の作品を作りました。書いていることは「أهلا وسهلا سوريا اليابان」日本語で「ようこそ、シリア、日本」ようこそは右からと左からと二つ書いてあります。シリアに来てくれた日本人にようこそ、また日本にきてくれたシリア人にもようこそ。間に心のマークがあって、中にシリア、日本と書いてあります お互いに愛する気持ちがありますように。下の方は「ターリク」と書いてあります。   これは私の名前です。この書き方は長い間考えて書きました。実はこの書き方では日本語で左から読むと日本語の「ターリク」になり、右からアラビア語で読むと「طارق」というアラビア語のターリクになります。実は、アラビア語で読んでも、日本語で読んでも次の絵のように「ターリク」になるのです。   日本に留学生として来日し、東京工業大学で修士、博士の学位を取りました。その時に日本人は書道が好きですが、アラビア書道のことはあまり知らないと感じました。アラビア書道では他の書道と同じように文字をきれいに書くのは大事ですが、さらに文字と文字をきれいに繋いで綺麗な言葉を書き、また言葉と言葉をつないで綺麗な絵を作ります。作品は書かれた文字というより絵として意味を伝えてくれます。文字を読むのではなく、目で見て楽しみます。 私の本業は書道ではなく、人工知能を含んだソフト開発の会社を経営しながらアラビア書道を教えています。現在は東京ジャーミーでアラビア書道を教えています。またいろいろなところで教えたことがあります。慶應義塾大学や、日本イスラミックセンターや御徒町マスジドという礼拝所などで教えてきました。本来は竹で書きますが、教えるために黒板に書きました。次の作品は「كل عام وأنتم بخير」という言葉が書いてあります。意味は毎年元気でありますように、です。   また、アラビア書道についてのスピーチや体験ワークショップなども数多く実施してきました。日本人は竹でアラビア書道を書くことにいつも驚きます。また名前などを書いてあげると、絵のように見えるので感動してくれます。アラビア書道について話すとき、イスラームの芸術として紹介します。イスラームという宗教では芸術はだめだと思っている人がいるかもしれませんが、本当はそうではありません。イスラームには信仰行為のことだけではなく、人間に必要なものが全て含まれています。その中には芸術も含まれているのです。また、新聞で記事を書いたり、NHKのラジオで放送したりしたこともあり、なんとかその思いを伝えられるように活動しています。アラブ大使夫人の会からもご招待いただき、文仁親王妃紀子様にアラビア書道を紹介してそのお名前の作品も作成しました。その作品は、トグラーという王様の名前で使われていたスタイルで書きました。また憲仁親王妃久子様にも、名前を丸の形で書いて差し上げました。 イスラーム文化と日本文化が繋がっていくように祈っています。2019年12月、生徒さんと一緒にアラビア書道の展示会を東京ジャーミーで開催しました。大勢のお客様が見にきてくださり、大変よい機会となりました。その時、30点ほどの作品を作って疲労困憊しましたが、日本人がイスラームの芸術を感じてくれることを願って作成しました。 今後アラビア書道の奥深さが伝わるように、イラクやトルコ、イランの先生方と連携して、有名な先生の作品や本などを日本に持ってきて広めたいです。また和紙や日本の道具を使って、日本の書道とアラビア書道を融合させた作品を作りたいとも思っています。それを作るためにも、日本人の書道家と協力したいです。この度、アラビア書道についてのホームページを作成しました。これから少しずつ更新していこうと思っています。www.IslamicArtInstitute.com  日本の方々が、アラビア書道について学んだり、本や道具、作品などを買ったりできるようにしたいです 芸術を通して、たとえ文化が違っても、世界中の人が人間同士、繋がっていけるようないい関係を作りたいと願っています。文化が違うのは決して悪いことではなく、むしろ絵のように様々な色があってこそ、より綺麗で豊かな表現ができるものではないでしょうか。 ターリク・ファタヤーニ(工学博士) SMA GROUP合同会社代表  ...